ブレイディみかこさんの著書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだ。
とてもおもしろくて、あっという間に読み終わってしまった。
みかこさんの息子さんのお話で、人種差別や貧困など社会のいろいろな問題が、中学生の日常生活にぎゅっと凝縮されて登場する。
一つひとつがなかなかヘビーな内容なので、思うところは多々あるが、私は祖父のことを思い出した。
私の祖父は、台湾人だ。
それを知ったのは小学生のとき。母が教えてくれた。そして母は「いじめられるかもしれないから、友達には内緒にしなさい」とも言った。
なぜ祖父が台湾人だと私がいじめられるのだろう?と思ったが、クラスメイトの中国人の子がいじめられていることを思い出し、母の言う通りしばらく内緒にしていた。
高校生になったとき、思い切って友達に、自分が台湾人のクオーターであることを打ち明けてみた。すると、みんなポジティブに受け止めてくれた。幸い、これまでに私は人種差別をされたことがない。
それでもこの世の中には人種差別があるし、子どもの頃から「なぜ人は差別するのだろう?」「なぜ人と人は争うのだろう?」という問いを抱えている。
日本のようにほとんどの人が同じ外見・信仰の地域だと、自分たちとはちがう、異質なものを嫌厭するのだろう。
一方、アメリカのようにみんな外見も宗教も文化も異なる地域だと、マジョリティである白人がその他を排除するのだろう。
どちらのケースも「上の立場」=差別する側が存在する。つまり、自分たちは「上だ」という意識がある。本来、人と人は、上も下もなく平等のはずなのに。
『ぼくはイエローで〜』にも、イギリス人が大多数の学校で、ハンガリー人の男の子がアジア人や黒人を差別するシーンがある。自身も移民ではあるが「白人」という枠に入り、アジア人や黒人より優位に立っているつもりなのだ。子どもとはいえ、滑稽である。
著書のなかでみかこさんは「分断とは、そのどれか一つを他者の身にまとわせ、自分のほうが上にいるのだと思えるアイデンティティを選んで身にまとうときに起こるものなのかもしれない」と分析していて、まさしくそうだなと思った。
いま、世界のあちこちで分断と争いが起きているなか、人と人が理解しあうためには、自分の主張をするだけでは解決しないし、相手の立場に寄り添って考えてみることが必要だと思う。
みかこさんの息子さんの言葉を借りるならば、「自分で他人の靴を履いてみること」が必要だ。
そんな大切なことがたくさん散りばめられている本だった。